坂本廣志プロフィール

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地獄谷にて

地球編【1】

昭和21年(1946年)4月6日に神戸で生れる。1945年8月6日に広島にいた母の胎内ですでに被爆していた。

昭和32年(1957年)11歳の時に、癌に蝕まれ余命3ヶ月と宣告されて、同年7月26日、木星で純血種のブルー種族の地球の管理者の宇宙人に癌を治療をしていただきました。

昭和36年(1961年)3月28日、15歳の時に、父が痔の手術で医療ミス(床に落としたままの注射器で脊髄に麻酔を打たれる。)によって、死亡しましたが、宇宙人ヤコフに父のクローンの肉体を作ってもらい、4月14日に父の魂をクローンの肉体に入れかえて甦ることができました。(その時に、ヤコフから父は10年は持たないこと、あとは病気で寝付く状態になることを教えられる。)後年、クローンの肉体を離れた父の魂は、ヤコフが宇宙へ連れて行き生き返らせています。現在は私たちの銀河の「最高指導者」として活躍しており、地球で進化させた速読術をさらに宇宙で進化させています。

父のこの出来事により、すぐに科学者になることは諦めて、音楽でお金を稼いで学資を作ってから科学者になることを決意しました。この方法に宇宙人も納得してくれたので、宇宙人の学習法を取り入れることになりました。宇宙人は電波を受信する装置を作って、アメリカで音楽を記録したもの(ジャズの知識が入ったもの)を私の脳に直接入れこみました。脳に入った音楽の知識を肉体の感覚にダウンロードして実際に使えるように猛勉強と猛訓練をしました。

同年3月に音楽高校を受験しましたが、縁故関係が強い学校だったので受からず、普通高校に行きました。そのころにヤマハのエレクトーンを買って、パーティなどで演奏しながら月賦を払い、妹にもエレクトーンを教えていました。

演奏をして稼いだお金は、母が貯金すると言って全部取り上げられていました。しかし、実際はほとんどのお金を親戚にばら撒いていました。それを知って、あわてて自分たちの家を建てる準備をはじめました。自分たちの家を建てることに母は猛反対でしたが、ヤコフに言われていた場所に月賦で土地を買うことができ、住宅の積み立てもはじめました。稼ぐ金額が大きかったので、母がばら撒いたお金で親戚は次から次へと家を建てていました。

昭和40年(1965年)19歳の時に、妹がバンドでヤマハヤングジャンボリーのコンクールで全日本1位になりました。それを見て、父がようやく音楽の道を認めてくれたので、妹と2人でビクターに入りました。そこでは演奏と指導に携わり、音大の教授もバッハのオルガン奏法を習いにきていました。

妹はラジオ関西のレギュラー出演をしながら、大阪や神戸でリサイタルをしており、また、日本楽器の神戸支店長の縁で、ナイトパンチのテレビのレギュラーもするようになりました。

そのころは、学業と演奏で寝る時間は4時間くらいでした。

昭和44年(1969年)3月に大学を卒業しました。

昭和45年(1970年)に、関西テレビの代表取締役の今村氏に私が間違いのない演奏者だという紹介状を書いていただいて、ハモンド社のH112番の楽器を買うことができました。当時はアメリカから届くのに、船で1ヶ月も掛かりました。

同年11月23日に父が倒れました。(ヤコフから未来を見せられていたので知っていた。同じく神戸の地震も見せられていた。)

昭和46年(1971年)に、妹は第8回インターナショナル・エレクトーン・グランプリコンクールで入賞し、日本大会では1位になりました。

同年12月13日に、新しく建てた家に引っ越して、父は3階の見晴らしの良い部屋で養生をすることになりました。やっと地震が来ても大丈夫になったと思い、いつでも宇宙に行くことができると安心していました。

昭和47年(1972年)1月に、母が家の前で転んで大腿骨骨折の大怪我をして、4月24日まで3ヶ月入院することになりました。父と母の2人に家政婦を雇うことになったので、稼ぐために演奏しながら、いつ宇宙に行けるのかと思っていました。

そのころ、お金に狂っていた母はいくら稼いでもお金をばら撒いてしまうので、科学の勉強をするために大学院に行くこともできなくなりました。父に「地球にいたくない」と言うと、クローンの父は涙をこぼしながら「行かないでください。行かれたら再生計画が始まったらどうすればいいのか」と言われました。「私が死ぬまでは大丈夫な取り決めをしていますから」と答えて、屋上に行ってテレパシーでヤコフに知らせました。すると「フヤナはしばらく地球にいなさい。大管理者様も『両親を見送るまで地球にいても、宇宙時間からすれば少しですので待ちます』と言っています」と言われましたが、これから科学の勉強もできなくなり、どうなるのかと不安がこみ上げてきて、25歳の私の心は冷え切っていました。

同年5月2日に父が危篤になりました。肉魚を断ち、力を出して100万の魔物の軍勢と3日3晩戦い続けて、私の力で延命させることができました。しかし死を迎えた父の身体はすでにぼろぼろでした。

平成4年(1991年)7月21日にクローンの父は他界しました。病院から家に連れて帰り、その夜は私が枕務めをしました。父に心で話しかけると、声が聞こえて「宗教もなく仏も神もいないのに必要はない」と言われましたが「皆がしていることなので」と言うと「心が安らぐのならしなさい」と言われました。涙がとまりませんでした。

初めて父が倒れた時から、25年の看病だったので、正直、とても辛い年月でした。

本当の父との別れ、クローンの父との別れも経験した人はこの地球には他にはいません。

ミヨコたち3人が「フヤナの父の魂は円盤に来ましたので、今、光の部屋に入れていますから会いに来ることができます」と言われたので、ヤコフに「魂はどこに行くのですか」と聞くと「第二の地球で生まれ代わらせますから」と言われました。

光の部屋に行き、父の魂に会うとテレパシーでしばらく会話をしました。父からお礼を言われたので「私たちのためによく働いていただきまして、ありがとうございました」と言うと「これが最後の別れでないので、いつでも会えます」と言われました。



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